学会通信(最新号・第60号(2023年11月))

追悼 水田洋先生

坂本 達哉(早稲田大学)

2023年2月3日、水田洋名誉会員(以下「先生」)が逝去された。満103歳の大往生であった。先生の生涯や業績についてはすでに多くの優れた追悼文がある。以下では、少し見方を変えて、日本イギリス哲学会(以下「本学会」)との関わりを中心に、先生の学問的遺産の一側面について個人的な思いを述べることにしたい。

先生の生涯は劇的かつ多彩であった。第一次世界大戦終結の翌年に生まれ、関東大震災を体験し、東京商大(現・一橋大学)を卒業後、東亜研究所を経て、陸軍軍属および連合軍捕虜としてインドネシア、ジャワ島に3年半を過ごす。1949年に名古屋大学法経学部に赴任、1954年にはグラスゴウ大学に2年近く留学。後に国際的な名声を確立するスミス蔵書の探索はこの頃から始まった。主要な活動の場であった経済学史学会の代表幹事を務めた直後の1977年、先生は社会思想史学会を設立、1979年には日本18世紀学会を設立した。そこには「スミスは経済学では分からない」との思いがあった。この間にオリンピック反対、万博反対、反戦平和・護憲等の華々しい市民運動家としての活動があった。1998年には社会思想史研究者としてはじめて日本学士院会員に選出された。

このような先生にとって、1976年に大槻春彦初代会長の呼びかけによって設立された本学会はいかなる意味をもったであろうか。本学会の看板とも言えるホッブズ、ロック、ヒューム、スミス、ミル等の主要思想家は先生の本領でもあったが、先生は本学会の理事に選出されたことは一度もない。諸学会の設立・運営に多忙を極めたことを別としても、なぜ先生は本学会の活動の中心に位置しなかったのであろうか。本学会草創期の社会科学系研究者は経済学の田中正司、永井義雄、政治学の田中浩、藤原保信等々であった。これらの人々と先生との微妙な人間関係が影響したのかもしれないが、それもまた本質的な理由ではなかったと思う。

より根本的な問題は、上の5名の思想家のうち先生が真に重要視したのはホッブズとスミスであり、ロック、ヒューム、ミルについて先生は、それぞれの重要性と偉大さは十分に認めながらも、先生の近代思想史パラダイムにおいては決定的な位置を占めていなかったという事実である。先生にとっての決定的な存在はホッブズとスミスであるが、その独自な解釈(ホッブズの個人主義やスミスの同感論等々)は本学会の哲学や政治学の専門家すべてに全面的に受け入れられるものではなかったはずである。とくに先生は、ロックとヒュームについて、本学会の主流とは異なる批判的立場を取っていた。ヒュームの経験主義についてはスミスとの関係で重視はしたが最後まで積極的な位置づけはなかった。最も顕著なのは先生のロック論で、最後まで「ホッブズは反体制、ロックは体制」との解釈を維持した。これが現代最前線の専門家たちが全面的に首肯する見解でないことは明らかである。これもすべて、近代思想の出発点をホッブズの個人主義とノミナリズムにもとめながら、個人主義にとってもノミナリズムにとっても不可避な存在であったロックとヒュームを迂回して、スミスに直結させる水田パラダイムの結果であった。ロック、ヒュームの専門家が多数を占めた本学会に先生がある種の距離感を感じたとしても不思議ではないであろう。

周知の通り、先生のホッブズ・スミス論は、ホッブズ・スミス・マルクス論として展開された。しかし、ホッブズ・スミス関係がそれほど単純なものではなかったことは、先生ご自身が理解していたはずであり、スミス・マルクス関係がなお一層の緊張と断絶をふくむ関係であることもまた、先生は熟知していたはずである。それにもかかわらず、先生がその三者関係に拘られた背後には、上にふれた「遅れてきたマルクス・ボーイ」としての先生の個人史があった。それはまた先生の市民運動の実践と同根でもあった。しかし、先生亡き現在、これらの個人史や政治的実践と先生の学問的業績とは明確に区別する必要があるように思われる。異論を承知であえて極論すれば、『アダム・スミス論集』(2009年)を白眉とする先生のスミス論やイギリス思想史研究の高みと充実は「マルクス・ボーイ」としての先生の自己認識とは別物である。それは後進世代のあらゆる思想史研究者が範とすべき国際的業績であり、研究者の政治的立場やイデオロギーの差異を超えて、純粋な学問業績としての圧倒的な力と重みをいまなお持ち続けている。私たちが未来に引き継ぐべきはこの学問遺産こそである。

追悼 水田洋先生

梅田 百合香(桃山学院大学)

本学会の名誉会員であり、イギリス哲学・思想研究に多大な貢献をなされた水田洋先生が2023年2月3日に老衰のため逝去されました。103歳5ヶ月でした。

アダム・スミス研究者として世界的に知られ、ホッブズやミルなど翻訳書を多く残し、日本の社会思想史研究を学問として確立することに尽力されました。また旅する研究者でもあり、生来フットワークが軽く語学が堪能で社交的であったことから、時代を先行して積極的に国際学会に顔を出し、海外の研究者と親交を深めネットワークを構築することに成功するとともに、各地の古本屋を訪ねて貴重書を入手し、私費を投入して膨大な蔵書を形成しました。17~18世紀の西洋社会思想史関連の原典が数多く揃うこの蔵書は、現在名古屋大学附属図書館に寄贈され、「水田文庫」として収蔵されています。また名古屋大学で多くの研究者を育て、後進の育成にも力を注ぎました。その育成支援の精神はさらに寄付という行為に現れ、人文・社会科学(思想史)分野の若手研究者を支援する名古屋大学水田賞として具体的な形を持って結実しました。学界の発展に対する功績はきわめて大きく、今も多くの研究者が水田文庫や水田賞の恩恵を受けています。

私もその恩恵を受けた一人ですが、実は私が水田先生に初めてお会いしたのは、2003年に法政大学で開催された本学会第27回大会の懇親会でした。祖父と孫ほど年が離れており、かつ法学研究科の私は先生のゼミで直接指導を受けることはなかったわけですが、それ以来親しくさせていただき、様々な形で指導と支援を賜りました。先生のご自宅の書斎を幾度となく訪ね、そのたびに温かく迎えていただき美味しい紅茶を先生自ら入れてくださり、水田珠枝先生とご一緒にいただいたり、ご夫妻とお食事をしたり、蔵書の中から貴重書をお借りしたり、ご自宅近くのカフェで経済学研究科の院生の皆さんと一緒に茶話会をしたり、先生と専門的な話を含めて数限りない雑談を楽しみました。

先生はご自分が「ホッブズをスミスで読むマルクス主義者」と言われていると笑ってお話しされることがありましたが、そのフレーズを結構気に入っているようでした。博士論文が元になっている私の最初の単著『ホッブズ 政治と宗教――『リヴァイアサン』再考』(名古屋大学出版会、2005年)は水田先生を含め日本の先行研究を批判しているのですが、先生は自由な批判精神を尊び、解釈が異なっても後進の支援を惜しむことはしませんでした。しかし先生の『近代人の形成――近代社会観成立史』(東京大学出版会、1954年)の核心である近代イコール世俗化というのは先生の一貫した信念であり、それは生き方(死に方)にも反映されました。雑談のなかで、先生はもしものことがあったら、自分の骨は灰にして地中海にまいてもらうつもりと仰っていましたが、結局遺言でご遺体は病院に献体され、告別式等は一切行わないという判断をなされたようです。

このように無神論・無宗教を貫く先生ですが、先生の精神を支えていたものは何かというと、それはある部分では水田珠枝先生であったと言わざるをえません。あるとき珠枝先生が体調不良でしばらく入院されることがありました。洋先生は珠枝先生の退院の後、「実は珠枝の入院中鬱状態になってしまった」と私に吐露されました。もちろん研究上の信念が先生の生き方の支柱をなしていたことは確かです。しかし、現実の研究生活を支えていたのは珠枝先生であったのは間違いありません。共著『社会主義思想史』(東洋経済新報社、1958年)や共訳『フランス革命についての省察ほかⅠ・Ⅱ』(中央公論新社、2002、2003年)は、その発露であり成果であるといえるでしょう。

私は在外研究中イギリスで水田先生の訃報に触れました。渡航直前の日本はまだコロナ禍であったためご自宅に伺うのを控えたのですが、それが悔やまれてなりません。コロナ禍以前に、電話で私がホッブズを読むために古典ギリシア語を勉強していると伝えると、先生は「自分ももっと勉強すればよかった」と返され、その謙虚さに驚かされたのを覚えています。先生の飽くなき探究心を私は私のできる形で引き継いでいきたいと思います。これまで本当にありがとうございました。

第47回総会・研究大会報告

2023年3月25日、26日に愛知教育大学で開催された第47回総会・研究大会は実に4年ぶりとなる対面での開催となりました。開催校の実施責任者として周到なご準備をしてくださいました今村健一郎会員、また大学院生の皆様に厚くお礼申し上げます。参加人数は実数で81名となり、首都圏以外での開催としては多くの会員の皆様にご参会いただき大変実りある会となりました。

25日午前の総会では早稲田大学の坂本達哉会員に司会をお引き受けいただきました。総会では奨励賞を受賞された太田浩之会員(グラスゴー大学)による受賞挨拶が行われました。続く山岡龍一会長の会長講演(「政治思想研究における「イギリス性」について」)では驚くべき博識に支えられた「イギリス性とは何か」についての本質的な洞察が披瀝されました。それはイギリス哲学・思想研究を志す聴衆一同に感銘を与える大変格調の高いものでした。アダム・スミス生誕300周年を記念するシンポジウムIでは重田園江氏(非会員)、太田浩之会員、高哲男会員、太田寿明会員の年齢、研究関心もバラエティに富む興味深い深い発題があり、フロアとのやりとりも活発に行われました。70名近い参加があり会員の関心の高さが伺えました。司会の青木裕子理事、森直人理事の卓抜な総括も印象的でした。

26日午前は個人研究発表が行われました。内坂翼会員(国際基督教大学・院)、高萩智也会員(慶應義塾大学・院)、渡辺一樹会員(東京大学・院)、遠藤耕二会員(福山大学)、岡本慎平会員(広島大学)、佐藤岳詩会員(専修大学)によるそれぞれ力のこもった研究発表と活発な議論が行われました。個人研究発表こそが本学会の真の実力が現れる場であると思わされました。午後はセッション「思想史研究における複合国家論の射程」(司会岩井淳会員)で竹澤祐丈理事、武井敬亮理事、安武真隆会員による専門性の高い発題と充実した議論がありました。それに続き、J・S・ミル没後150年を記念するシンポジウムII「J・S・ミル研究の現状と意義」では舩木恵子会員と成田和信会員の卓抜な議論設定のもと、鈴木真会員、小沢佳史氏(非会員)、村田陽会員のそれぞれ重厚で刺激的な発題があり、充実した議論が行われました。セッションとシンポジウムIIにはそれぞれ約50名の参加がありました。二日間で合計17の内容豊かな発題があり、それに基づく議論が行われたことになります。志を共有する研究者同士が一つの場所に会して議論できることの意義を再確認することができた二日間でした。残念ながら、コロナ感染への懸念から懇親会は中止となりました。東京大学駒場キャンパスで開催される予定の第48回では懇親会を含む学会での会員の学問的親睦が可能になることを願わずにはいられません。

最後になりましたが太子堂正称委員長をはじめ、充実したプログラムを作成して下さいました企画委員の理事の先生方にお礼を申し上げたいと思います。(矢嶋直規)

第15回日本イギリス哲学会賞選考結果

選考委員長 冲永 宜司(帝京大学)

日本イギリス哲学会奨励賞選考委員会(委員 犬塚元、奥田太郎、柘植尚則、富田理恵、冲永宜司)は、2022年9月18日付けで、下記の論文を第15回日本イギリス哲学会奨励賞の受賞作として理事会に推薦することに決定しましたので、ここに報告いたします。

太田浩之「自己に対する道徳判断と自己欺瞞―ジョゼフ・バトラーとアダム・スミスの比較分析」(『イギリス哲学研究』第45号、2022年、3月)

委員会では、1. 論述の説得力、2. 論述方法の堅実さ、3. 先行研究への目配り、4. 議論の独創性、5. 将来の研究への発展可能性等について慎重な検討を行い、上記論文が奨励賞の水準に達しており、本年度の受賞作にふさわしいとの結論に達しました。受賞理由の要点は以下の通りです。

太田会員の本論文は、グラスゴー版の解釈以来、スミスの良心をめぐる表現がバトラーからハチスンを介してスミスに影響を与えていたと考えられていたのに対して、バトラーからスミスへの直接の関係を明らかにした点に特徴があります。

その際筆者は、スミスがその良心についての考察において「自己愛の欺き」といった「自己欺瞞」を論じ、またバトラーも反省の欠如と自己愛についての考察において「自己欺瞞」を論じていることを指摘します。その一方で、ハチスンは自らの道徳感覚についての議論の中で「自己欺瞞」を論じていないという、スミスからハチスンへの批判に筆者は着目します。こうしたバトラーとスミスとの共通性、反対にハチスンの考察に見られない要素に対するスミスからの批判とを丁寧に叙述することで、筆者はバトラーとスミスとの密接な関係を明らかにしていると判断されました。この点で哲学史の論文としては従来の定説になかった独自の見解も含み、選考委員会は本論文が奨励賞として推薦できるという結論に達しました。

今後検討を要する点として、バトラーとスミスとの言説の内容的共通性は、二者の思想史的な影響関係を証明するものではないという指摘や、スミスの言説にまず着目しその後で遡ってバトラーの類似の言及を記すという筆者の議論展開は、二者の歴史的関係の立論には十分なのか、という指摘がありました。これは思想内容の類似性と、歴史的影響関係の事実とを区別する必要性でもあり、今後の筆者による研究が望まれます。

それでも本論文は良心と自己欺瞞とを主題としながら、道徳哲学における利己主義や利他性といった倫理思想の中心課題につながる議論の題材を含んでおり、筆者によるこの方面での今後の研究に大きな可能性を含んでいると言えます。

受賞者の言葉

第15回日本イギリス哲学会奨励賞受賞者 太田浩之会員

この度は、第15回日本イギリス哲学会奨励賞をいただき、大変光栄に存じます。まずは、審査の労をとってくださった関係者の皆様、そして論文に対して貴重なご指摘をしていただいた査読者の方々に御礼申し上げます。

今回、このような栄誉ある賞をいただいくことができたのは、会員の皆様のご指導があってのことだと思っております。受賞論文の一つの特徴は、従来のアダム・スミス研究でそれほど注目されてこなかったジョゼフ・バトラーとスミスとの関係を取り上げている点にあると考えておりますが、私がバトラーの思想に最初に触れたのは矢嶋直規先生のゼミを通じてでした。当時全く面識がない中で、矢嶋先生がゼミへの参加を快く受け入れてくださることがなければ、今回の論文を執筆することはできなかったと思っております。また、本学会が主催する大会や部会にて報告する機会をこれまでに何度もいただき、そこでの交流を通じて、論文の書き方などの初歩的な技術から専門的な知識に至るまで、数多くのことを学ぶことができました。この度の受賞論文は、このように会員の皆様のご協力がある中で研究を続けたことの一つの結果だと考えております。この機会をお借りして、心より感謝申し上げます。

今回の受賞を大きな励みにして、今後さらに質の高い研究ができるように精進してまいります。今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

第48回総会・研究大会について

第48回総会・研究大会は、2024年3月23日(土)・24日(日)の両日、東京大学にて行われます。同大学には、大石和欣会員が所属され、大会開催校責任者としてご尽力いただいております。

1日目には、総会、記念講演、セッション、シンポジウムⅠ「カントとイギリス哲学――生誕300周年記念(仮題)」 (司会:大谷弘、安倍里美 報告者:佐藤岳詩、渡辺一樹)、2日目には、個人研究報告(6名予定)、シンポジウムⅡ「イギリス哲学の総合性の伝統とその現代的翻案─PPE(Philosophy, Politics, &Economics)という学問領域の可能性の探求(仮題)」 (司会:久米暁、小林麻衣子 報告者:児玉聡、平石耕、中井大介)が予定されています。また、1日目の夕刻に懇親会が開催される予定です。

詳細については2024年2月のプログラム送付の際にご案内いたします。

事務局より

ご挨拶

第24期事務局も残すところ5か月となりました。至らぬ点ばかりですが、山岡龍一会長のリーダーシップのもと何とかゴールが視野に入ってきました。4年ぶりに対面での開催となりました第47回総会・研究大会が成功裡に終えられたことは大変大きな喜びでした。次期理事会の陣容も固まり学会設立50周年に向けて始動したところです。今期は、理事の重任制限が導入され、本学会の理事会からいわゆるベテランの先生方が一度に退かれ新執行部にとっても挑戦の時期でした。そんな中で今期事務局幹事をお務めいただいている竹中真也先生、山尾忠弘先生のお仕事にこの場をお借りしてお礼申し上げます。(矢嶋直規)

会費納入のお願い

本会の会計年度は1月から12月となっております。会費未納の方は、本年12月末までに振込をお願いいたします。年会費は6,000円です。2年分(12,000 円)以上の未納の場合には、来年3月末の学会誌の送付が停止され、役員選挙の選挙権・被選挙権を失います。5年分(30,000 円)滞納の場合、自然退会となります。期日内に納入いただきますようお願い申し上げます。